長らく権力者のいない緩やかな社会を形成していた久米島。そこへ15世紀頃に、伊敷索(ちなは)按司という人物が沖縄本島から渡って来た。彼は島の各地に息子たちを配置して、久米島で最も大きな勢力を誇ったとされる。その伊敷索按司と、粟国島出身の側室との間に生まれたのが笠末若茶良である。容姿端麗で人々からの人気も高かった彼であるが、神女が父である伊敷索按司を差し置いて彼を祝福したことで、それを快く思わなかった父によって命を狙われるようになる。
父である伊敷索按司は、若茶良の母である側室を粟国島へと帰し、若茶良の城を攻めた。若茶良は戦に勝利し、父へ謀反の意思が無いことを訴えるも理解されることは無かった。若茶良は母のいる粟国島を見つめて涙したとされる。ついに彼は粟国島へ渡ることを決意するが途中で難破し、かろうじて久米島へ戻る。為す術なく意気消沈しているところに、再び父の攻撃を受け、覚悟を決めた彼は自害して果てたと伝わる。