宮古島から大海を渡り、中山に初めて朝貢した人物
与那覇勢頭豊見親(よなはしどとぅゆみや)
14世紀後半~15世紀
古琉球(第一尚氏王朝時代)
琉球王国の夜明け(14世紀〜15世紀中頃)
「球陽」によれば、1390年、察度(さっと)が中山王に即位して41年目に宮古八重山が初めて朝貢しました。中山の使者が逆風に遭い宮古八重山に流れ着き、島の人々は琉球が大国と交易していることを知り、中山に貢物を納めました。宮古島から初めて朝貢した与那覇勢頭豊見親(よなはしどとぅゆみや)は、目黒盛(めぐろもり)に滅ぼされた与那覇原軍(よなはばらぐん)の生き残りとされています。彼は中山への進貢船が漂着したのを機に、自らも造船して中山へ朝貢しました。察度王に宮古島の首長に任命された彼は、帰国後八重山にも朝貢を促しました。与那覇勢頭豊見親の出自については、倭寇由来説もあります。彼は、経験を生かし、平和的に宮古島を統治しました。彼の死後は子孫が首長の座を継ぎ、後に仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみや)に引き継がれました。与那覇勢頭豊見親の詳細な人生や「ニーリ」という古謡については、さらなる研究が待たれます。