受難の国王尚寧を、表と裏から支えた姉妹
阿応理屋恵按司加那志(月嶺 姉妹)(あおりやえあじがなし(げつれい しまい))
 姉:?~1663年 妹:1584年~1653年

近世琉球 前半(第二尚氏王朝時代)
国難と対峙した人々(16世紀中頃〜17世紀中頃)
阿応理屋恵按司加那志(あおりやえあじがなし)童名:真銭金(まぜにかね)と月嶺(げつれい)の姉妹は、第二尚氏王統六代目国王尚永王と王妃の間に生まれ、王女として愛情を受けて育ったことは想像に難くありません。尚永王には男子がいなかったため、彼が亡くなると彼女たちのいとこにあたる尚寧(しょうねい)が国王に即位し、阿応理屋恵按司加那志は王妃となりました。その後、1609年の琉球侵攻という国難に直面することとなります。 妹の月嶺は1605年に四代目聞得大君(きこえおおきみ)に就任し、宗教面から国王を支えました。オナリ神信仰に守られた尚寧王は、阿応理屋恵按司加那志姉妹を頼りにしていたでしょう。しかし1609年、島津氏(しまづし)が琉球に侵攻し、首里城は包囲されました。尚寧王は和議を申し出て降伏し、領土を割譲しました。尚寧王と重臣たちは薩摩へ連行され、阿応理屋恵按司加那志や三司官名護親方が留守を預かりました。 月嶺は聞得大君としての権威が、島津氏の侵攻により失墜したとも指摘されます。1613年に編纂された「おもろさうし」巻二は、聞得大君の威光を取り戻す試みだったとも言われていますが、その甲斐もなく、月嶺の時代で国王への神号授与も終わりを迎えました。 阿応理屋恵按司加那志は、尚寧王の死後も長く生き、1663年に亡くなりました。彼女は当初首里の天山陵(てんざんりょう)に葬られましたが、1759年に尚寧王の眠る極楽陵(ごくらくりょう)に移葬されました。歴史の陰に隠れがちな女性たちの物語ですが、時代の波に翻弄されながらも強く生きた女性たちがいたことは忘れてはなりません。

収録: 絵で解る琉球王国歴史と人物 第3巻