対中国外交破綻の危機から救った久米村の進貢使
蔡国器(さいこっき)
1632~1702
近世琉球 前半(第二尚氏王朝時代)
琉球のルネッサンス(17世紀中頃〜18世紀)
1644年、琉球は新たな外交の難局を迎えました。三藩の乱の際、琉球は清朝と反乱軍の間で困難な立場に立たされます。この危機を救ったのが蔡国器(さいこっき)です。蔡国器は那覇士族の池宮城親雲上秀統(しゅうとう)の子として生まれ、久米村の蔡延(さいえん)の養子となり、その後、琉球使節として清に渡りました。尚質王の冊封を求めましたが、そこで反乱軍の攻撃により足止めされてしまいます。10年後に帰国した彼は、尚貞王即位後にも再び清へ赴き、進貢任務を果たしました。 三藩の乱で靖南王(せいなんおう)の使者から硫黄を求められた琉球は、求めに応じて硫黄を提供することを決めます。その後の動向を確認するために派遣されることとなった蔡国器は、靖南王と清朝の両方に備えた文書を用意し、情勢が変わると清朝への忠誠を示す文書を提出。硫黄提供を否定し、清朝の信頼を得ることに成功しました。これにより、琉球は有利な条件で清との交易を続けることができました。