美貌で尚貞王を骨抜きにしたという伝説の女性
真壁按司加那志(まかべあじがなし)
1651~1730
近世琉球 前半(第二尚氏王朝時代)
琉球のルネッサンス(17世紀中頃〜18世紀)
真壁按司加那志(まかべあじがなし)は童名を真加戸樽金(まかとたるがね)といいました。尚質王時代の摂政(せっせい)具志川王子(ぐしかわおうじ)は彼女を見かけ、「楊貴妃のように国家を傾ける女性」と言ったと伝わります。彼女ははじめ百姓の娘として首里城に入り、尚貞王(しょうていおう)の寵愛を受けて継妃となりました。王の彼女への寵愛ぶりに正妃は嫉妬心を抱かずにはいられず、ついに聞得大君(きこえおおきみ)職を受け入れ、首里城を退きました。正妃が死去した際、尚貞王は王陵である玉陵(たまうどぅん)への葬送を拒否したり、葬儀を見物しようとしましたが、正妃の長男尚純(しょうじゅん)や重臣の諌めにより撤回や阻止されています。これらの王の迷走に真壁按司加那志の存在が影響を与えたともいわれています。