多くの自然災害に見舞われながらも民を思い祈りを捧げた王
尚穆王(しょうぼくおう)
 1739年~1794年(在位1752年~1794年)

近世琉球 前半(第二尚氏王朝時代)
琉球のルネッサンス(17世紀中頃〜18世紀)
尚穆王(しょうぼくおう)は、1739年に生まれました。彼は名君と称される尚敬王(しょうけいおう)の跡を継ぎ、1752年に14歳で国王に即位します。即位翌年には首里城に寝廟殿(しんびょうでん)と呼ばれる施設を創建し、1756年には冊封使の船のため那覇港の浚渫事業を実施しました。1760年には大地震により首里城が損傷し、修理のため一時的に大美御殿(うふみうどぅん)に移住しました。彼は今日まで沖縄本島地方で広く行われている清明祭(せいめいさい)を王陵である玉陵(たまうどぅん)で初めて実施した王としても知られています。 1771年の明和の大津波では、多くの人々が犠牲となり、被災地への食糧配給や弔いのために使者を派遣しました。また、1786年には12年の歳月をかけて琉球初の刑事法典「琉球科律(りゅうきゅうかりつ)」が完成しました。これは清の刑法典や日本の刑書を参考にしたもので、画期的な出来事でした。 尚穆王は在位中、自然災害や財政難に苦しみながらも、農村の立て直しや法制度の整備に努めました。特に父・尚敬王の影響を受け、その教えを守り続けたようにも感じられます。尚敬王のような高い評価を受けることの少ない尚穆王ですが、先代や国民への温かな眼差しは彼の事績の端々から窺い知ることができます。

収録: 絵で解る琉球王国歴史と人物 第3巻