蔡世昌(さいせいしょう)と共に王国の教育改革を目指した若き王
尚温王(しょうおんおう)
1784年~1802年(在位1795年~1802年)
近世琉球 前半(第二尚氏王朝時代)
琉球のルネッサンス(17世紀中頃〜18世紀)
尚温王(しょうおんおう)は1784年に尚穆王(しょうぼくおう)の孫として生まれました。父・尚哲(しょうてつ)が早世し、兄も幼くして亡くなったため、12歳で王位に就きました。尚温は国師の蔡世昌(さいせいしょう)と共に、王国の教育改革に着手します。尚温と蔡世昌が中心となったとされる国学(こくがく)の設立により、久米村以外の士族からも官生(かんしょう)と呼ばれる中国への留学生が選ばれるようになりました。尚温王は自ら国学の開学の精神を読み上げ、学生に勉学を奨励しました。 また、尚温王の在位中、世界遺産の識名園(しきなえん)が整備されたとも伝わります。しかし、1802年、尚温王は19歳で早逝し、王位を継いだ唯一の子尚成(しょうせい)も幼くして亡くなってしまいます。もし尚温が長生きしていたならば、彼は琉球の未来に大きな影響を与えたかもしれません。