疲弊する農村・相次ぐ異国船の来航に精神を病んだ王
尚灝王(しょうこうおう)
 1787年~1834年(在位1804年~1834年)

近世琉球 後半(第二尚氏王朝時代)
列強の波と王国の落日(19世紀)
尚灝王(しょうこうおう)は1804年に第二尚氏の第17代国王として即位しました。彼の即位に際し三司官の喜屋武親方が「尚灝は王の資質に欠ける」と密かに反対したものの、松川親方がこれを謀反と非難し、尚灝王の即位が決まったとも伝えられています。彼の即位した当時の琉球は、頻発する自然災害や飢饉、疫病で農村が疲弊し、年貢の納付も困難な状況でした。王府は倉を開いて救済するものの、効果的な対策はできませんでした。 尚灝王の時代には、多くの外国船が琉球を訪れ、特に1816年にバジル・ホールが詳細に紹介したことで、琉球は欧米に広く知られるようになっていきました。尚灝王はまた、多くの女性と関係を持ち、彼らとの間に26人の子どもをもうけました。特に又吉アヤーと宮城アヤーの姉妹が寵愛を受け、他の妻たちとの間でいがみ合いがありました。 1828年頃、尚灝王は精神病の療養のため城間御殿(ぐすくまうどぅん)に移り住みました。王府高官の三司官たちは尚灝王の長男尚育(しょういく)を王の名代として立てることを決定し、尚灝王の怒りを招きましたが、次第に収まりました。彼は、琉歌を多く残し、情感豊かな人物としての一面もありました。 晩年、尚灝王は城間御殿に隠居し、慈悲深い一面を見せることもありましたが、1834年、病の発作で自ら海に飛び込んで亡くなります。尚灝王がもし国王としての重責を背負わずに生きられたなら、その感性を生かして別の形で後世に名を残したかもしれません。

収録: 絵で解る琉球王国歴史と人物 第3巻