島流しの日々を日記に綴った「配流日記(はいりゅうにっき)」の著者
仲尾次政隆(なかおしせいりゅう)
 1810~1871

近世琉球 後半(第二尚氏王朝時代)
列強の波と王国の落日(19世紀)
琉球では古くから重罪の一つとして島流し(流刑)がありました。仲尾次政隆(なかおしせいりゅう)は、禁教とされた浄土真宗を信仰し布教した罪で八重山へ終身島流しとなり、その後赦免されるまでの十年間を八重山で過ごしました。政隆はその日々を日記に記録し、配流地での生活を詳細に描いています。 政隆は那覇士族の家に生まれ、裕福な家柄であったため、人望と財力を活かして薩摩役人の接待や大和横目(やまとよこめ)などの重要な役職を務めました。30歳で地頭職に任じられ、6男2女に恵まれました。もう一つの彼の顔として、浄土真宗を信仰し布教活動を行う信者という一面もありました。彼は信者組織「中山国廿八日講(ちゅうざんこくにじゅうはちにちこう」を結成しましたが、元信者の密告により逮捕され、石垣島に流刑されてしまいます。 石垣島では二人の供を連れて裕福な生活を送り、現地妻も迎えました。彼は八重山の文化や祭りを楽しみ、住職や役人と親交を深めました。特に宮良橋(みやらばし)の再建に尽力し、自費で架橋工事を行い成功させました。その人望から多くの役人たちによる赦免嘆願書が提出され、1863年に赦免されて那覇に帰還しました。

収録: 絵で解る琉球王国歴史と人物 第3巻