名君尚真が築いた黄金時代

名君尚真が築いた黄金時代
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  • 開国せまる黒船の来琉
  • バジル・ホールの来琉
  • 両属体制と第二黄金時代
  • 名君尚真が築いた黄金時代
  • 第一尚王統の盛衰
  • 琉球の戦国時代と英雄・尚巴志(しょうはし)の活躍
  • 巨大な浦添城を中心に「王」と呼ばれる有力な支配者が現れる時代
  • 伝承が伝える沖縄の夜明け
詳細拡大図・関連写真
  • 琉球料理 首里天楼
名君尚真が築いた黄金時代

クーデターで王になった金丸は、名を尚円と改め、中国からも王として認められます。なので同じ尚姓ですが、尚円以降を第二尚王統といいます。尚円は王になったときすでに55歳で、7年後に亡くなっています。弟の尚宣威が後を継ぐはずでしたが、尚円の正室・宇喜也嘉(おぎやか)が策略を用いて若干13歳の息子・尚真を王位に就けたといいます。尚真は歴代王の中でも最長の50年近く在位し、その間に第二尚王統の堅牢な基盤を築き、400年以上の長期政権を可能にした名君中の名君と呼ばれています。この時代に、オヤケアカハチの乱など八重山の反乱も平定し、先島諸島も首里王府に統治下に置きました。尚真は・刀狩り・各地の按司を首里に住まわせる・身分制度の明確化 などの政策で中央集権化を図り、芸術を奨励して文化国家・琉球を確立していきました。「円覚寺」「崇元寺」「玉陵」などの壮麗な建築物が数多く建立されたのも尚真の時代です。この時代は琉球の黄金時代とも言われています。
尚真の後も安定した時代が続きますが、7代目・尚寧が在位中のの1609年に、琉球は薩摩藩に制圧され、薩摩藩の支配地として扱われるようになります。

絵巻に描かれているのは、先島諸島と本島南部の遠景などです。