浦添王朝が英祖王統4代目・玉城王の頃、南部と北部でそれぞれ有力な按司が浦添から離反し、それぞれに王朝を打ち立てました。以来、琉球には中山国(=浦添王朝)・南山国・北山国の三国が分立し、相争う戦国時代が約1世紀続きます。三山はそれぞれに独立国として中国に朝貢を行ったので、それぞれの王の名が中国の記録にも残っています。
この戦乱の時代に生まれ、地方の一按司から 天下人となった、織田信長のような人物が琉球に現れます。南部の佐敷(現・南城市)按司の子・尚巴志です。佐敷には馬天港という港があり、尚巴志はここを通じて独自の貿易を行い、農業に必要な鉄を多く仕入れ、力を蓄えていたといわれています。
尚巴志は31歳の時に近隣の大里按司を滅ぼし、その3年後に、なんと琉球最大の勢力であった中山国の王・武寧を打ち、父の尚思詔を中山王に据え、第一尚王統を開きます。さらに10年後の1416年に北山国を攻め滅ぼし、1429年には残る南山国をも攻略し、初の沖縄本島統一を成し遂げます。